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ねぎとろ丼

ねぎとろ丼

絵空事への探求

 ゲームや漫画、小説等の創作された世界観に入り浸ってみたいという人は、一人や二人ではないはずである。
 その作品の舞台となった場所や土地を訪ねて雰囲気を味わったり、物語の登場人物になりきってみたり。
 私もその一人になるのだろう。数年ほど前から、昔熱中していたゲームの舞台となった場所を訪れている。
 いわゆる『聖地巡り』というものになるそうだ。
 私が四十を過ぎたときだろうか、仕事の合間に出来た休みが来るたび有名なお寺や神社へ行くことを始めた。
 最初は興味本位であった。
 寺社巡りなんて年寄りのすることだ、と馬鹿にしていた自分が年を取ったものだからと気取ってみたのがきっかけだった。
 普段から体を余り動かさない、事務職を続けていた体であったせいで足腰には辛いものだった。
 目的地のすぐ近くまで電車やバスで移動できない所へは行こうとしなかったし、一ヶ月もすれば飽きて行くことを止めたのだ。
 その時である。大掃除の時に昔熱中していたゲームが出てきたのだった。
 自分が二十台に入る辺りのことだったな、と懐かしんだりしてそのゲームを再び起動して遊んだりした。
 そしてそのゲームに熱中していた頃、物語の舞台となったところへ行ってゲームのキャラと会ってみたい等と妄想していたことも思い出した。
 そのゲームというのは民俗学的な部分や神話に関する事柄がふんだんに盛り込まれたものであった。
 そのことが引き金となり、今私はインターネットや図書館の文献を参考に全国各地に足を運んでいるところだ。
 別に本気で会えると思ってやっているわけではない。旅そのものを楽しむつもりであるだけだ。
 旅先の名産品を食べたり、古びた建築物を見て何となく頷いてみたり、住職や神職の人と軽い話をしてみたり。
 そうこうしている内に、ある仮説を立てることにした。その熱中していたゲームに出てくる『幻想郷』という世界が実在するという仮説だ。
 いや、それは仮説というよりは願望に近かった。
 あって欲しいとは思うものの、内心では所詮ゲームという名の他人の妄想から生まれた物だと諦めている。
 やはりあるはずだ。いいやそんなもの妄想に決まっている。だが夢を見るぐらいは……と、迷ったりする。
 そうやって迷いながら、寺社巡りを続けて数年が経ったときのことだった。

   ※ ※ ※

 それはたいそう暑い日のこと。
 数年ほどウォーキングがてらの旅行を続けたものだから、大丈夫だろうと山登りを決行した日であった。
 場所は京都にある、天狗の伝記等がある山。
 その場所は有名なところで、大きなお寺もあった。周りにはたくさんの温泉宿や料亭が並んでいる。
 山を登っていく参拝客らの中には外国人もいたほどだった。
 その外国人らの後をつける形で山に入ったわけだが、道の途中で獣道へ入ってみようと思ったのだ。
 当然そんな所へ入ればどうなるかわからない。
 抜けた先がゲームの世界と繋がっていて、入りこめるだなんてこともありえない。
 そのときの私は暑さで頭がやられていたんだと思う。そうでなければ、幻想を夢見て獣道に飛び込んだりしなかった。
 獣道は非常に歩き辛いものだった。というのも、人が歩くための道でないのだから当然であった。
 そのときの私はやはりどうかしていたんだ。昼食時に飲んだジョッキの生ビールで酔っていたいせいに違いない。
 何も考えずに登山道から外れ、人々の喧騒から遠ざかるように山へ入って行った。
 錆び付いた毒ヘビ注意の看板、立ち入り禁止を示すロープ、猟銃使用禁止区域の赤い標識。
 私はそれらを横目にしてどんどん奥へ踏み入った。
 どれぐらい歩いただろう、疲れて腰を下ろした頃には太陽の位置がわからない程暗い森の様な所に居た。
 人の声なんて聞こえやしない。そこら中を虫が飛び回って鬱陶しかった。
 そして汗を拭くためのタオルを落としたので拾おうとしたとき、私は転んだ。
 転んだ先は不運にも地面ではなかった。苔の生い茂った斜面を転がって行った。

 痛みに気づいて目を覚ました頃、辺りは真っ暗であった。つまり夜。
 鞄に入れていた携帯電話は圏外。ペットボトルに残っていたお茶も僅かだけ。
 腹が減っていることに気づくも、食べられる物など勿論持っていなかった。
 やはり変なことを考えて獣道に入るべきじゃなかった、と遅すぎる後悔。
 家に会社の部下からもらった土産をまだ食べていなかったな、と思ったり結婚していたら妻が心配してくれて捜索願いを出してくれたりするのだろうか、と想像してみたり。
 滲み出る汗のせいでシャツはビシャビシャ。
 このまま脱水症状で死ぬのだろうな、と諦めたときのことだった。大きな羽音が近くでしたのだ。
 こんな夜更けに活動する鳥か。フクロウなのだろうか? そう思って上を見るが鳥の姿はない。
 暗いのだから、見えなくて当然じゃないかと自嘲気味に思っていると枕元に誰かが着地した。
 突然の出来事に戸惑うばかりなのだが、本当に人が降りてきたのだ。
「おやおや、見たところ今にも死にそうな人間ですねぇ」
 その者は想像していたよりも若い者であった。それも女性、いや少女と思える声であった。
「瀕死の人間さん、今のお気持ちはどんな感じですか? ……ありゃりゃ、返事も出来ませんか」
 枯れすぎた喉では擦れた声しか出せず、少女が満足する反応はできなかった。
 そもそもこの少女はどうしてこうも失礼なんだ? 死にそうな者にインタビューみたいなことなどしおって。
「申し送れました。私、射命丸文といいます。新聞記者をしているんですよ」
 そう言って彼女は私の手に押し付ける形で、名刺を渡してきた。名刺の字なぞ読める状況ではなかった。
 今にも意識を失いそうな程衰弱していたからだ。
「あやや、これは本当に不味いですねぇ。放っておいても良いんですが……どうも天狗というのものは人間が嫌いになれないのです。特別に助けてあげますよ」
 助けるだって? こんな人が居ない場所で、しかも山の麓まで遠いだろうに。
 どうやって助けてくれるという言うのだろう。いい加減大人を呼んできて欲しいものだ。
 いくらなんでもこんな少女ではとても当てに出来ない。そう思っていると少女が私の体を抱き起こし、そのまま担がれる形となった。
「幻想郷一の速さで届けますよ、気を失わないように!」
 その言葉を聞いて風を感じた瞬間、意識が飛んだ。
 いや、正確にそう言われたか自信はない。なにせそのずっと前から朦朧としていたのだから。
 気がついたときには自宅の玄関先で寝転がっていた。
 服や所持品はほぼ倒れたときのままであった。汗を拭くタオルは無かったが、他はそのままだった。
 意識もはっきりしている。酷く喉が渇いているということもない。転んだ拍子にぶつけたと思った所も痛まない。

   ※ ※ ※

 次の日会社へ行き、同僚達にこの話を何度も繰り返し聞かせた。誰一人として信じようとしなかった。
「天狗と名乗る少女と山の中で出会ったんだ」
「死にかけの私を担いで行った」
 そう話すが、誰も信じなかった。当たり前かもしれない。私だって信じられないのだから。
 もしかすると射命丸、という少女は私が死を目前にして見た幻だったのかもしれない。
 同僚に指摘された、名刺というのも持っていないから余計に証明する手立てが無かった。
 あの少女に運ばれた際に落としたかも……と思ったが言い訳じみているので、そこまでは言わなかった。
 だがあの名刺の感触、少女の声、可愛らしい顔はどう考えても現実のものだ。
 やはり私の仮説は正しかった。ゲームの世界は必死になって探せば見つけられるのだ。

 私はこのことをこれ以上誰かに教えるつもりはない。
 世間に広まり、人が押し寄せてくることになればゲームの住民達が困ると思っているからだ。
 私一人が迷い込むだけならきっと問題はないはずだ。そういう設定になっているはずだ。
 それからというもの、会社が休みの日には手当たり次第で山へ入って行った。
 本屋でサバイバル、とつくタイトルの本を買い漁って出来る限り山の奥へ行ける知識をつけることにした。
 会社へ行く日であっても早起きして軽いランニングをして体力をつける努力をした。
 しかし、あの奇跡の出来事は暫く起きなかった。時間が経つにつれて、やはりあれは願望が生んだ幻だったのかと疑うようになった。
 そう考えるたび、彼女が私に渡そうとした名刺の感触を思い出していた。

   ※ ※ ※

 奇跡はもう一度起きた。そうれはもう寒い日のことだった。
 いつもの様に淡い期待を抱きつつ家を出発し、電車で数時間揺られ、汗水たらしながら名を知らぬ山へ入って行った。
 適当な獣道に入り、入り口に置手紙をしておいて出発したのだ。
 この日は面倒なことに少し雪が降っていた。道のりは優しくなく、道中何度も転びそうになったものだ。
 野生の兎を見つけられたことに喜びながら、冷たく硬くなったおにぎりを頬張る。
 年を食った独身の男が何をしているんだろう、と馬鹿らしく思いながらも奇跡がもう一度起きることを期待して足を進めて──とうとう転んでしまった。
 それはもう、山から谷へ真っ逆さまに落ちていくレベルの出来事。
 地面にぶつかるまでの間、いやに時間が遅く感じられた。それだけ高い所から落ちたか。
 視界がはっきりしない。私はまだ生きているのか。どこか血は出ていないのか、無線はどこだろう。
 全身を殆ど動かせない状況であったにも関わらず、私は自分でも不思議に思えるほど冷静だった。
 今度こそ本当に死ぬんだろうな、山を舐めてかかるんじゃなかった、と前にも同じような後悔をしたなとどこか懐かしい気持ちになっていた。
 そのときである。遠くの景色から誰かが歩いてくる気配を感じたのだ。
 辺りを見回す。が、体のダメージがよっぽど酷いせいで目が殆ど見えていなかった。
 でも誰かが確かに近寄ってきている。そうはっきりと感じられる。
 今度また名刺を渡されるのなら、しっかり握っていよう。そう思いながら待っていると足音は私のすぐ傍で止まった。
「残念ね、あなた。私は天狗ではないし、新聞記者ではない。名前も射命丸じゃないの」
 その者の声は射命丸、と名乗った少女と比べるともう少し年を取っていそうな声だった。少女というより、女性的というか。
「幻想を追いかけ続けた男の最期……ね。随分と滑稽なものだわ。登山の最中に足を滑らせて高所から落下、全身打撲」
 その女性の声は聞いたことがある。いや、聞いたことがあるのとは少し違う。ゲームに出てくる、ある登場人物のイメージしている声にそっくりなだけだ。
「私の名前は八雲紫。あなたは私の名前を知っているんでしょう? 私のことを追いかけ続けて、人が滅多に踏み入れない領域を目指していたんでしょう?」
 八雲紫。やはりそうだ、私がイメージしていた声のキャラ名そのまんまだ。
 ゲームに出てくる幻想郷の鍵を握る人物、という設定の女性が今私のすぐ近くに居るのだ。
 だが体を起こすことが出来ない。顔を見ることが出来ない。こんな肝心なときに体が言うことを効かない。
「だけどあなたはここで満身創痍。ゲームオーバー。志半ばでバッドエンドとなって終了」
 もう耳も聞こえなくなりつつある。視界は真っ暗だ。痛みさえ感じなくなってきている。
「さようなら。あなたを食べてあなたの精神だけ幻想郷に持って帰ってあげてもいいけど……欲望にまみれたあなたは不味そうだから嫌。そこで腐って死ぬがいいわ」
 女性の笑い声が響く。辛うじて残っている聴力がそれを拾った。笑うと言っても、嘲笑的な意味に思えた。
 だがもう何も見えない。何も聞こえない。これ以上何をやっても助かる気がしない。
 女性の気配さえもわからなくなり、何もかもが感じられなくなった。今こうして考えていることも直に止まるのだろう。
 何とも馬鹿らしい人生だったな、と振り返りながら熱愛していたゲームの登場人物の名を呟いた。

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